最近、NHKの朝ドラにすっかりはまってしまいました。前作の「エール」に続いて「おちょやん」も欠かさずに見ています。早天祈祷会を終え、しばらく牧師室でデボーションを持った後に、8時ぎりぎりに自宅に駆け込んでいるような毎日です。
先週のタイトルは、「親は子の幸せを願うもんやろ?」。親が商売敵同士のみつえと福助は、恋仲になって駆け落ちしようとしますが、そこに主人公の千代が、駆け落ちなんかしないで、正々堂々とわがまま言って無理をお願いすればいいと説得します。「親は子の幸せを願うもんやろ?」と。
「親は子の幸せを願うもんやろ?」胸に響く言葉です。そして、フッと気が付きました。私たちは、キリストにあって神の子であることに。
聖書は次のように言っています。「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは『アバ、父』と叫びます。」(ローマ8:15)
「アバ」とは、「お父ちゃん」「パパ」と言うような幼児が全幅の信頼をもって父親に呼びかける言葉です。私たちは、キリストの十字架による罪の贖いによって神の子であり、しかも「アバ」と呼ぶことのできる間柄なのです。千代の父親は飲んだくれで、母親は早死にしてわずかな優しい思い出があるだけです。それでも、彼女は「親は子の幸せを願うもんやろ?」と思ったのです。ましてや私たちは、神は私たちを愛して、私たちの幸せを願っておられると確信すべきではないでしょうか。
全能なる神は、私たちの父です。困難に直面するとき、悩み苦しむとき、不足や欠けを覚えるとき、遠慮することなく、「アバ、父」と叫び求めましょう。神は必ず応えて下さいます。