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生きるとは

今日でパラリンピックが終わります。ハンデイをもったアスリートたちの活躍に驚きと感動で胸を熱くした人も多いのではないでしょうか。

先日の朝日新聞に一人のアーチェリー選手が紹介されていました。岡崎愛子さん。彼女は、16年前に107人が亡くなったJR宝塚線の脱線事故の時に、1両目の車両に乗っていて、首の骨を折り、頸椎を損傷して、ほぼ下半身が動かない車椅子生活になりました。そのとき大学2年生。けれども彼女は、「事故の被害者でかわいそうと見られるのは嫌。生きるなら楽しみたいと」と、就職、一人暮らし、本の出版、講演会と次々に挑戦し、8年前に東京でのオリンピック開催が決まるとアーチェリーに挑みます。矢を10m飛ばすのに3年、50m先の的に届くまでに4年半かかったそうです。「どんな困難も、どうしたらできるかを考える」という姿勢には、教えられます。

ところで、主イエス様はこんな譬えを話されました。一人の主人が3人のしもべを呼んで、それぞれに5タラント、2タラント、1タラントを預けて旅に出ました。5タラント、2タラントの者は、それぞれ預かったものを活用してさらに5タラント、2タラントを儲けましたが、1タラントの者は、地面に隠して何も用いませんでした。主人は、1タラントの者を「怠け者のしもべ。」と叱り、預かったものを活用し、増やしたしもべには「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。」(マタイ25:23と言って喜びます。

タラントとは、私たちが持っているもの、与えられているもの、また可能性です。人生は決して公平ではありません。与えられている物は皆違います。しかし「生きる」とは、他者と比べて自分を量るのではなくて、今自分にあるものに向き合い、それを数え、それを生かし、用いるために努力と工夫をすることにあります。


by sayama_church | 2021-09-05 15:58 | 牧師の窓 | Comments(0)
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