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礼拝のこころえ①

 今日も、ご一緒に礼拝をささげることができますことを感謝いたします。主イエスは、「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(マタイ18:20)と言われました。また、ヘブル書には「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」(ヘブル10:25)とあります。ですから、主の初めの1時間少々のときを、私たちは大切にしたいと思うのです。
 時々、礼拝は牧師の説教を聞きに行くところと考えている方がおられます。確かに礼拝の中心に説教はありますが、それは正しい考えではありません。礼拝は、神様と出会い、神様と交わりをもつ時です。神様の臨在に身を置く時なのです。 
 私の祖母は、主イエス様にお会いしに礼拝に行くのだと言っていました。日曜日には、いつもより朝早くに起きて、着物を着て身支度を整えていました。晩年になると、遅刻してはいけないと、前日に支度をして着物姿で横になっていました。その姿は、礼拝を重んじ、礼拝を中心に生活しているそのものでした。
 私たちは、さんび、祈りを通して、主をたたえ、主に近づきます。み言葉を通して、主と交わりをもちます。献金を通して、主の恵みと愛に応答します。
 「主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」(イザヤ40:31)とあります。今日も新しい力と命をいただく礼拝となりますようにお祈りいたします。
by sayama_church | 2009-06-28 21:08 | 牧師の窓 | Comments(0)
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