クリスマスを迎えるたびに考えさせられることがあります。それは主イエス・キリストの犠牲です。十字架も犠牲ですが、クリスマスも犠牲です。なぜなら。神が人となられたのですから。
聖書にはこうあります
。「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」(ピリピ2:6,7)
人は、受けることは喜びますが与えることは好みません。自分の権利を主張しますが手放すことは考えません。悲しみ、苦しみにある人に同情し、涙を流し、励ますことはできても、自分の特権、立場を犠牲にしてまで寄り添うことはしません。それが、私たちの姿です。けれども、キリストは神から離れ、暗きに迷う罪びとを救うために神の御姿、神のあり方を捨てられたのです。
聖書はこうも言っています
。「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」(Ⅱコリント8:9)
私たちはキリストによって救われました。キリストの愛と犠牲によって救われたのです。そうであるならば、救われた者は、自己中心な生き方を捨てて、神のため、人のために自分を捧げて生きるべきではないでしょうか。