父が入院いたしました。もともと不整脈という心臓に持病があるのですが、今回はそれが原因で血栓が生じて脳梗塞を引き起こしたようです。今のところは、症状は軽く、言語に問題が出ていますが、リハビリで回復するだろうと医者から言われています。それにしても、若い頃から鍛え上げた息子たちよりも逞しい体をベットに横たえている姿を見たとき、年を重ねることは一つの試練だなと感じました。
私たちはだれもが、やがては老いていかなければなりません。これは悲しい現実です。しかし、聖書はこうした私たちに慰めと励まし、希望を語っています。詩聖は
「年老いた時も、私を見放さないでください。私の力の衰え果てたとき、私を見捨てないでください。」(詩篇71:9)と祈り、イザヤ書には
「あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。」(イザヤ46:4)と約束されています。またパウロは希望に満ちて叫びます
。「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(Ⅱコリント4:16)
年を重ね、肉体的に衰えや弱さを感じる私たちを主は心に留めて下さいます。弱さを感じる私たちをだれよりも顧みてくださるは主なのです。