8月に入り、真夏たけなわとなりました。皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。
先日、私は夕食後に眠気を催し、横になったらそのまま寝入ってしまいました。目が覚めたら11時半。慌てて、シャワーを浴び、歯を磨き、パジャマに着替えて、もう眠れないだろうと床につくと、何とそのまま熟睡。気がついたら朝でした。夏の疲れが出たのだと思います。
ところで、主イエス様も「疲れ」を知った人でした。ユダヤからガリラヤに行かれる途中、サマリヤを通られました。当時のユダヤ人は、異邦人と混血したサマリヤの人を軽蔑して、迂回するのが常でしたが、主イエスはそうはされませんでした。聖書はこう記します。
「そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は六時ごろであった。」(ヨハネ4:6)
主イエスは疲れたのです。疲れだけではありません。主イエスは、大工として働く労苦、飢えと渇き、人に裏切られ、捨てられることも経験されました。罪は犯されませんでしたが、人としてのあらゆる試み、苦しみを経験されたのです。私たちと同じ人となられたからです。永遠の初めから父なる神と共に存在し、神の栄光を持つ、神のひとり子だったのにかかわらず。
けれども、それだからこそ私たちは、主イエスに祈りを捧げます。彼こそ、私たちの悩みと痛みを理解して下さるからです。
「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」へブル2:18