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御霊 

今日、私は代田教会で奉仕しています。この教会は日本宣教会の始まりとなった教会で、講壇の上には「聖霊満堂」の大きな額が掲げられています。創設者の相田喜介師は、聖霊を大変強調いたしました。

随分前に、相田喜介師のメッセージをテープで聞いたことがあります。ローマ8:14「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。」の聖句を引いてこのように語っておられました。「神の子どもは神の御霊に導かれる。御霊に導かれない人は神の子どもではない。」なまりのあるその声は今も耳に残っています。

さて、新約の時代に生きるキリスト者は、主イエスを信じたとき御霊を受けた人です。キリスト者とは、この御霊に導かれる人です。これが聖書の語るキリスト者の姿です。けれども謙虚に自分自身の姿を振り返るときに、御霊に導かれる生活よりも、何と「我」を主張し、「我」に固執し、「我」に導かれことが多かったことでしょうか。結ぶ実が乏しいとしたら、実にここに原因があるのかもしれません。

御霊は、周囲を生かしますが、「我」は殺します。御霊は主イエスの栄光を求めますがが、「我」は自分の栄光を求めます。ここで言う「我」とは自立した自己のことではなく、神に逆らい、他者を押しのける自己中心性のことです。

私たちは御霊を受けたのですから、御霊に導かれて歩もうではありませんか。そのためには、神の愛と善を信じ、信頼して、自分を神に捧げ、明け渡すことです。言い換えるならば、主イエスに従って生ることを決心することです。その時、私たちは、人々に、さらには社会、時代に影響を与える人となるのです。


by sayama_church | 2015-07-13 17:47 | 牧師の窓 | Comments(0)
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