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イエスを主とする

私は、最近イエスを主と告白することについて考えさせられています。人は、究極的には己を主として、自分の心、思い、欲に仕えようとします。しかし、聖書は、繰り返しイエスを主とするように招いています。

例えば、イエスが弟子たちを召されたときの言葉は何でしょう。「わたしについて来なさい。」(マタイ4:19です。それに対して「彼らはすぐに網を捨てて従った。」(同4:20とあります。イエスを主とするとは、「イエスについていく」「イエスに従う」ことです。イエスは「わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12と約束されました。

もう少し説明を加えるならば、イエスを主とするとは、イエスを信頼すること、イエスを愛すること、それ故にイエスに自分を委ね、捧げること、こうした意味合いが含まれての従うことです。説教者がしばしば使う「明け渡す」とは、そう意味です。聖霊に満たされた人とは、イエスを主としている人です。

キスト者は、聖霊によって「イエスは主です。」(Ⅰコリント12:3と告白する者ですが、その告白の実質を生きる人は必ずしも多くはありません。イエスを心に迎えてもイエスを主としないからです。イエスを主としなければ、自分の欲、肉に仕えることになります。肉からは良きものは生まれません。(ガラテヤ5:19-21) 願わくは、私たちキリスト者が、イエスを真の意味で主と崇めることができますように。


by sayama_church | 2015-10-25 21:02 | 牧師の窓 | Comments(0)
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