聖書のメッセージを一言でまとめるならば、「イエス・キリストによる福音」と云うことができます。
以前、まだ神学生の頃に、ある教会の子どもキャンプに招かれました。2泊3日にわたって、自分なりに聖書を一生懸命にお話しして、キリストの十字架による救いを語りました。最後に、一人の女の子に尋ねました。「どうしたら天国に行けると思う?」すると彼女は少し考えた後に「これから良いことをいっぱいして、そうしたら天国に行けるかもしれない。」と答えてくれました。本当に正直な答えでしたが、私は、自分のメッセージが伝わらなかったことを痛感しました。
宗教は、一般的に戒律や儀式を守るように教えます。ですから、多くの人は聖書も「道徳的、倫理的に正しくあるならば、救われる。神の恵みを受けことができる。」と教えているのだろうとイメージしています。けれども、聖書は、「救いは、私たちの正しい行い、良い働き、さらには宗教的な熱心さ、犠牲によるのでもなくて、ただイエス・キリストの十字架による。」と語るのです。
私たちの罪が赦されるのも、神を父と呼び祈りを捧げられるのも、ただ私たちの罪のためにいのちを捨てられたキリストの十字架によるのです。救いの根拠は十字架以外にありません。キリストの十字架に究極的に示された神の愛に身をゆだねること、そこに救いがあり、それがゆえに福音なのです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ヨハネ3:16