キリスト教信仰の本質

キリスト教信仰の本質は何でしょうか。もし、それがルール、戒律、儀式を守ることにあるとしたら、こんな退屈で窮屈なことはないでしょう。青年時代、私は頭ではそうではないことを理解しているつもりでしたが、現実の生活ではキリスト者らしい外面を整えることに汲汲として苦しくなり、かえってその反動で神に反発するような生活をしていた時期がありました。

 キリスト教信仰の本質は、儀式や戒律を守るという外面的、形式的な営みにあるのではなく、神との生きた交わり、愛に基づいたかかわりにあります。主イエスは、こう言われました。「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」(ヨハネ17:3

 「永遠のいのち」とは私たちを生かす神のいのちです。「知る」とは「かかわりを持つ」「交わりを持つ」の意です。ここで主イエスは「人を生かすいのちは、父なる神と御子なるイエス・キリストとの交わりの中にある」と言っているのです。

私は、50年以上もの間、キリスト教信仰とのかかわりの中で生きてきましたが、「キリスト教信仰とは、生けるまことの神と救い主なるイエス・キリストとの聖霊による人格的なかかわり、交わりである」と、恥ずかしながらようやく実感をもって気がつくようになりました。

自分の罪深さと弱さを知れば知るほど、こんな罪人である私をそれでも見捨てずに愛して下さった主のはかりしれない愛と恵みを感じます。この主を足りないながら信頼し、愛して、仕えたいと願わされることです。


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by sayama_church | 2018-03-04 13:55 | 牧師の窓 | Comments(0)
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