教会の役割

 先日、新聞を読んでいてとても興味深い記事に出会いました。鳥取大学医学部の安藤泰至准教授(宗教学)が、生命操作に関わる倫理的問題についてのインタビューに答える中で、宗教についてこのようなことを言っているのです。

 宗教は、「割り切れないもの」をそのまま受け止めて一緒に悲しみ、支える働きをしてきました。そこに宗教の役割がある。宗教は別に科学と対立するものではありません。(2018.3.16 朝日新聞)

対外受精から始まり今やゲノム編集にまで至った科学技術の進歩に伴う生命倫理の問題に対しては、教会は聖書に立った見解を世に発するべきですが、ここではその問題はさて置いて、安藤氏の「宗教の役割は割り切れない矛盾と痛みに満ちた人間の生をそのまま受け止めて支えることだ」との見解に、私は次の聖書の御言葉が重なって聞こえるように感じました。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、・・・彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。・・・今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」(出エジプト3:7,10

この御言葉は、神がモーセをエジプトの奴隷となって苦しんでいるイエスラエルの民のところへ遣わした時の言葉です。今日のエジプトは神から離れた罪の暗やみの支配する世界です。創造者なる神にとっては、人間は愛する「わたしの民」です。神との関係を離れて暗やみの中に生きる人間の悩みと叫びを神はご自分の痛みとして感じておられます。神は、かつてはモーセを、そして究極的な救いとして神の御子イエス・キリストを遣わされました。そして今日ではキリストのからだなる教会をこの世に遣わしているのです。悲しみと苦しみにある人々の痛みを受け止めて共に悲しみことのできる教会であらせていただきたいものです。


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by sayama_church | 2018-03-20 20:37 | 牧師の窓 | Comments(0)
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