謙遜

 人から注意されたり、批判されたりするとき、なかなか素直に聞けないものです。ついつい言い訳をし、自己弁護をしてしまいます。特に身近な家族からだと尚更です。

 私は、家内を助手席に乗せて車でときどき外出します。そんなとき隣から「危ない」とか「ぶつかりそう」などと注意されることがあります。「ごめんね」「気を付けるよ」と言えばそれで済むのですが、どういう訳かついつい「ゆっくり走っているから大丈夫だよ!」などと、いろいろと弁解してしまい、結局お互いに気まずい思いをしてしまうことがあります。車の運転に関してならばそんなたいしたことはないのですが、これが教会の牧会や伝道に関することになるとかなり大事になります。延々と議論が続いてしまいます。

 聖書の中の偉大な人物にモーセがいます。聖書はモーセについてこう言っています。「さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。」(民数記12:3)

 謙遜とは、人の忠告を素直に聞くことができる、自己弁護の衝動を抑えることができる心なのかもしれません。モーセはイスラエルのリーダーでしたが、民衆から、ときには身内からも非難を受けることがありましたが、自己弁護することなく主の御前に問題をもって行き、祈る人でした。

 そういえば、亡くなった母も「忠告を聞ける人は伸びる、賢い人だよ。」とよく言っていたことを思い出します。謙遜な人にさせていただきたいと祈らされることです。


[PR]
by sayama_church | 2018-05-06 20:03 | 牧師の窓 | Comments(0)
<< 2018年5月13日(日)のご案内 2018年5月6日(日)のご案内 >>