苦しみから生まれもの 

子どもの頃、母によく言われたものです。「あなたは、まだ苦労をしていないから。」そう言われて育った私は、「人は苦労をしなければ一人前にはなれない。」との思いを無意識のうちに持つようになりました。母は、満州からの引き揚げ者で、苦労人でした。

 けれども、様々な人たちに出会う中で、だんだんと私は母が言っていたことは一面の真理ではあるが、「必ずしもそうとは限らないのでは?」と感じるようになりました。苦労や苦しみは、ある場合には他人を思いやる優しさや深みのある円熟した人格を育むのですが、ある場合には、ひねくれ、屈折した、ひがみっぽい性格を生み出すようにも思えたのです。

ひとりの痛ましい生い立ちを経験した牧師が、こんなことを言っていました。「苦しみの意味を問うても答えはでない。苦しみにどのように応答するかに意味がある。」「どうして私にこんなことが起きたのか?なぜ私がこんな目に合わなければならないのか?と問うても行き詰まり、精神が破綻するだけである。」

生まれながらの容姿や能力、育った環境、これまでの経験、現在の状態を嘆き、悲しみ、不満を持つ人は多くいます。そこにとどまる限りは何の祝福もないでしょう。けれども、すべてのことを神様の摂理として受け止めて、それに対してどのように応答していくかが問われているのであると受け止めて主とともに歩んでいくときに、苦しみの意味が明らかになり、すべてのことが益となったことを知るのではないでしょうか。苦しみが祝福となるのです。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」ローマ8:28


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by sayama_church | 2018-07-08 20:08 | 牧師の窓 | Comments(0)
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