心の渇き

 びっくりしました。チャペルのカンノンチクが枯れかかっていたのです。葉はすっかり垂れ下がり、一部変色も始まっていました。先週はバタバタしていて水を遣っていなかったことに気が付いて、慌てて鉢にたっぷりと水を注ぐと2日でみずみずしい元気な姿を取り戻してくれました。生き物には水が必要だと痛感しました。

 主イエスは、ある時井戸の傍らでサマリヤの女に出会い、こんなことを言われました。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネ4:13-14

 人間にとってやっかいなことは、喉の渇きだけではなくて、心の渇きがあることです。しかし、これこそが人間が神にかたちに創造され、その鼻にいのちの息を吹き込まれた証拠とも言えます。心が、魂が、霊が渇きを覚えるのです。サマリアの女は、この渇きを異性によって満たそうとして結婚と離婚を5回も繰り返しましたが満たされることはありませんでした。最後は、男と同棲するまで落ちぶれてしまいました。世間は彼女をまるでゴミのように見下しましたが、主イエスは彼女の存在の価値と尊さを認め、前述のように語られたのです。

 主イエスとの出会いは、人間の心の渇きを癒します。人間が本来の人間らしさを取り戻すのです。ちょうど枯れかかったカンノンチクが息を吹き返したように。


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by sayama_church | 2018-08-05 20:51 | 牧師の窓 | Comments(0)
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