キリストにあるいのち

先週、一人の婦人を見舞いました。癌で8年ほど入退院を繰り返していましたが、今回の入院は半年に及んでいます。

彼女に対する私の印象は、とても元気で個性的な方で、人の云うことを何でもかんでも「はい、そうですか。」と聞き入れるようなタイプの人ではありません。けれどもキリストの十字架に心底よりすがっていることはよく分かる人です。

聖書を読んで、お祈りをささげた後に、彼女とこんな会話を交わしました。

「洗礼を受けたときの感動は忘れられないわ。」私が「どうして洗礼を受けられたのですか?」と尋ねると、「保険会社の所長をしていた時に、Mという部下がいたの。彼女はクリスチャンで、よく天国のすばらしさを話してくれたの。最初は、この人は何を言っているのかと思っていたわ。でも私が仕事でとても悩んでいたときに、向こうから歩いてくるMがとても輝いて見えたの。仕事はできない人だったけれどもMが持っているものがほしいと思ったわ。それで教会へ行ったのよ。」

 鼻からは酸素吸入のチューブが伸び、体には点滴の針が刺さり、足は丸太ようにむくんでいるお身体でしたが、その表情には主イエスにあるいのちの輝きがありました。語らいの中にも不思議な明るさがありました。

 「そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。」Ⅰヨハネ5:11-12


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by sayama_church | 2018-09-02 20:19 | 牧師の窓 | Comments(0)
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