復活の信仰

先週、三沢集会所に通う一人の方が召されたので、急遽青森に向かい、ご葬儀をさせていただきました。数日前にお見舞いをしたときは、しっかりとした口調で会話をすることができて、まだお元気な様子でした。今にして思えば、聖書を読み、共にお祈りをささげることができたあの時間は、神様が備えて下さった時だったように思えてなりません。

 年に数回、お会いする程度でしたが、召されてしまうと寂しさを感じます。ましてや、ご家族にとっては、その悲しみはどんなにか深いかと案じています。

 ところで主イエスは、こう言われました。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」ヨハネ11:25

ここにはキリスト者が持っている確かな希望があります。肉は滅び、塵に帰っても霊はキリストとともに祝福の中に生きつづけるのです。そして聖書は、主イエスは再びこの地にお出でになることを明確に語っていますが、その時に、キリストにある死者は栄光の体が与えられてよみがえるのです。聖書は、キリストは罪の結果人類にもたらされた死を滅ぼされたと宣言しています。

 情を持つ私たちにとりましては、死が悲しみである事実には変わりはありません。けれども、悲しみの中にも、確かな慰めと希望をキリスト者は持っているのです。


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by sayama_church | 2018-09-10 21:06 | 牧師の窓 | Comments(0)
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