聖書が伝えるメッセージは、倫理や道徳ではありません。「救い」です。そして「救い」は、主イエス・キリストによって実現したのです。
「救い」の内容をパスカルの言葉を借りて一言で申し上げるならば、「神なき人生の悲惨さ」から「神と共なる人生の幸い」に移されたことです。聖書では、それを「神の子とされる」と言っています。「しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12)
主イエス・キリストが私たちの罪のために十字架で血潮を流し、罪の贖いを成し遂げて下さったがゆえに、私たちは神の子とされて、「神なき人生の悲惨さ」から「神と共なる人生の幸い」に入れられたのです。救いは、努力や善行や修行によるのではなく、ただ主イエスに対する信仰によると言うのが聖書のメッセージです。救いの根拠は、どこまで行っても主イエス・キリストの十字架の血による罪の贖いにあるのです。
人生には悩みはつきません。しかし、主イエス・キリストを信じる信仰によって神の子とされたのであるならば、はばかることなく、恵みと折りに適った助けを受けるために、大胆に祈りをもって神に近づこうではありませんか。神は「父」であり、あなたは「子」なのですから。