人気ブログランキング | 話題のタグを見る

よみがえりの主

 先週の日曜日は、主イエスのよみがえりを記念するイースターでした。しかし、ある意味では、毎週の日曜日はイースターのようなものです。と言うのは、主イエスがよみがえり、ご自分を弟子たちに現わされたのは日曜日だったからです。それで、主イエスを神の御子、救い主と信じる者は、日曜日に集まり、礼拝を捧げるようになりました。クリスチャンが毎週日曜日に集まるのは、実によみがえりの主を覚えて集まっているのです。

主イエスは、使徒ヨハネの晩年に、主の日(日曜日)にご自分を現わされて、こう言われた聖書にあります。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。」黙示録1:17,18

 ここに「わたしは死んだが」とあります。主イエスは、確かに死なれました。神に創造され、愛されながら、神に背を向けて、本来の人としてのあるべき姿から外れてしまった全人類の罪の赦しのために身代わりとなって血潮を流し、死んだのです。血を流す(いのちを捨てる)こと以外に神の前に罪の赦しはありません。しかし、主イエスは、ご自分の言葉通りに、死を打ち破り、三日目によみがえりました。ご自分の言葉通りによみがえられたことは、十字架の死が全人類の罪の贖いの代価であるとの主の言葉も確かであることの証であります。そして主イエスは、今も生きておられるのです。

天においても地においてもすべての権威が与えられている主イエスが、罪を悔い改めて、主イエスを信じ、従う者と共にいてくださるとは何と幸いなことでしょうか。


by sayama_church | 2019-04-30 17:46 | 牧師の窓 | Comments(0)
<< 2019年5月5日(日)のご案内 2019年4月28日(日)のご案内 >>