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ある婦人牧師の生涯から

 先日、一冊の本を手にしました。それは、最近お亡くなりになられた一人の婦人牧師を記念して著されたものです。この婦人牧師は、40代のとき献身し、生涯を独身で主に仕えられました。若い頃に患った結核のために片肺で、晩年は酸素ボンベがなくては生活できないようなお体でしたが、そのご生涯において多くの実を結ばれ、多くの人に慕われました。
この先生の告別式のときに一人の牧師が述べられた弔辞がその本に収められていました。題は「先生のような生き方を追い求めて」とあり、こんな一文がありました。「私がもう存じ上げた最初の頃から、結核を患った身として、本当に痩せ細っておられた体で、本当にこういう体力で、奉仕が出来るんだろうかと常々思っておりました。けれども先生を生かし、先生を、またその働きにおいて実りあるものとしたのは、どうも先生のいわば体力と言ったらよいでしょうか、持っている先生ご自身の力というよりは、弱かった分、自分の罪や弱さを良く知っておられた分、主イエス・キリストに信頼し、主イエス・キリストの働きが先行していくことを待って生きておられた、奉仕しておられた。・・・私は、もう10年前にもなりますがけれども、心筋梗塞で倒れまして、障害者手帳を持つ身となりました。・・・そういう自分の体の健康が失われたとき、自分の力で何事かをなすのが牧師の務めではない、そのことをようやく受けとめられるようになった・・・」
 「あなたは、自分の力とがんばりで奉仕しようとしていないか。」そんな語り掛けを受けたような思いでした。私たちは、主イエス様の後ろをついていくだけでよいのです。
 「わたしについて来なさい。」 マルコ1:17
by sayama_church | 2006-10-11 20:55 | 牧師の窓 | Comments(1)
Commented by at 2006-10-12 05:15 x
「弱いから強い」今週の世良田牧師のメッセージに通じる者がありますね。弱さを嘆くのではなく、弱さを誇れる者になりたいです。
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