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クリスマス、降られた愛

 クリスマスの時期になりました。この時期になりますと、年末の慌しさが加わり、なかなか落ち着いて、ゆっくりと クリスマスの意味を考えながら、主に心を向けることができないことを悲しく思うことです。せめて毎回の礼拝と祈り会では、これまで以上に主に近づきたいと願うことす。
 ところで、クリスマスと言いますと一般には赤や緑の華やかなデコレーションやきらびやかなイルミネーションを、また心ワクワクさせるプレゼントなどを連想いたします。しかし、聖書の世界を知れば知るほど、私はそうしたこととは逆の貧しさや卑しさを感じるようになりました。
 一言で言うならば、キリストは降られたのです。神の栄光の立場から人の立場に下られたのです。宮殿のベッドにではなく飼い葉おけに寝かされたことも、社会的に疎外されていた羊飼いによって最初にその誕生が喜ばれたことも、主が徹底して下られたことを示しています。
 よく考えますと、人間の世界の争いは、すべて自分が人の上に立とう、優越感を持ちたい、支配しようとするところから始まります。へりくだることができないのです。仕えることができません。そこに私たちの罪深さがあります。キリストがなされたことは、私たちの逆でした。
 このクリスマスの時期、私たちを救うために私たちのところまで降りてこられたキリストを覚えさせていただきましょう。私たちは、このキリストの降られた愛によって救われたのです。
「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。」 Ⅱコリント8:9
by sayama_church | 2006-12-08 15:47 | 牧師の窓 | Comments(1)
Commented by at 2006-12-09 17:24 x
神のご愛に感謝します。次男は「処女が子どもを産んだってほんとに信じてるのお母さん?おとぎ話じゃないんだよ!」っていうんですよ。確かに、普通の人はそう思うんでしょうね。次男にも神の愛が伝わりますようにと、毎日祈っています。
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