N姉が天に召されました。開拓当初から私たちの教会のために祈り、支えて下さった方です。私は、1993年に神学校を卒業して、狭山に遣わされ、そして教会がスタートしましたが、N姉はその前の家庭集会から見えられていました。とても、謙虚で慎ましい方でした。何よりも純粋な信仰をもっておられました。そして、私たちの教会の土台となって下さいました。それだけに、今、何とも言えない、寂しさを感じています。
私は、牧師となって13年たちますが、ずいぶん多くの方々を天国に見送りました。友人、恩師、教会員、親族・・・。ご葬儀に参列するだけではなく、司式も何度もさせていただきました。そして、その度に襟を正されるような気持ちにされます。
聖書にこのような言葉があります。
「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行く方がよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。」 伝道者の書7:2
私たちも、やがてこの地上の生涯を終えるときがきます。普段はこの地上における生活のことで頭が一杯で、やがて自分も主の前に立つときがくることを忘れています。しかし、やがて愛する主にお会いする日が来ます。愛する友人、家族に再会する日が来ます。主の十字架の血による罪の赦しを信じ、謙って、慎み深く、主により頼みながら、日々歩ませていただきたいと思うことです。