我が家に待望の男の赤ちゃんが加わりました。といいましても、ミニチュア・ダックスフンド、子犬です。名前はジョイ。今やりっぱな家族の一員です。
もともと私は、それほど動物は好きではなく、犬を飼うことには反対していました。しかし、子どもたちが「犬がほしい。」の大合唱。本を買ってきては犬の研究をしていました。それを横目で見ながらも、私には飼う気などさらさらありませんでした。
ところが・・・です。我が家の真向かいの家に子犬がやってきたのです。子どもたちは、大喜び。次女は、その子犬に会うために、毎日垣根越しにその家の庭を覗いていました。ちょっとの時間ではなく、ずーっと。次女は?と捜すと、その家の庭先に立っています。これには、親としてまいりました。いじらしくなってしまいました。そして、不覚にも、つい「犬を飼おうか。」と口をすべらせてしまったのです。
さて、ジョイが来て考えさせられました。「私は、犬を飼う気持ちは、全くなかったのに、ここにいる。なぜだろう。子どもたちの熱意に、次女の必死な願いに負けてしまったのである。」
もしかしたら天の父なる神様にも、同じことがあてはまるのではないでしょうか。主イエスさまは、このように教えてくださいました。
「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。・・・あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと」 ルカ11:9,13