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ひとり子を与える愛

 先週の日曜日は大雪となりました。大雪と言っても雪国の人にしたら大したことではないでしょうが、私たちにとりましては、結構なものでした。
 久しぶりに積もった雪を見たせいか、あるいは雪による遭難事件のニュースを読んだせいか、雪景色を眺めながらフッと妙な光景が頭をよぎりました。3人の幼いわが子を連れて、吹雪の中を進んでいる自分です。歩めども歩めども、人家は見当たりません。子ども達は、「疲れた。」とぐずりだし、へたりこみます。どんなに叱咤しても、立ち上がりません。苛立ち。このままだと死ぬ?!絶望!ところが不思議なようにわが子に対する愛おしさが沸いてきて、不可能であることが分かりながらも、3人を抱えて、前に進もうとする自分がいました。
 我に返ったとき、自分はこんなにもわが子を愛していたのかと新鮮な驚きを感じました。単なる空想の出来事です。しかし、私の深いところには、わが子に対する愛おしさに溢れていました。いかなるものにも代えがたい存在。不思議な感情です。思わず「主よ、どうかこんな目に会わないように助けてください。」と祈りました。
 ところがそのとき、父なる神が私のような罪びとのために御子をお与え下さった事実の重さが、現実となってひしひしと心に迫ってきました。教理や教えではなく、血の通った事実として。あまりにも大きな痛みと犠牲。
 十字架は小さな出来事ではありません。私たちに対する神の愛が溢れているのです。「神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物として御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」 Ⅰヨハネ4:9
by sayama_church | 2008-02-11 10:43 | 牧師の窓 | Comments(0)
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