私は以前会社勤めをしていたことがありますので、会社がどのようなところか何となく分かるようなつもりでいました。けれども、昨今耳にする、一部の企業かもしれませんが、過酷な労働状況等には、ただただ驚いております。つい先日も、新聞に、月に100時間以上の残業をして、しかも休みなく働いている人のことが紹介されていました。
聖書には
、「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。」(出エジプト20:8-10)とあります。
これは6日働いて1日休むように人間は造られている。1週間の中に1日の休みをとることは、私たちの幸せになるという戒めです。そして、日曜日の礼拝は、神の臨在の前に出ることを通して、魂の深い安息を与えられるときであることを教えています。
礼拝は、牧師を通して聖書の教えを学ぶときではありません。私たちを罪の闇路から救い出してくださった神を賛美し、今も生きて働いておられる神の臨在に触れるときです。御言葉を通して神との交わりを持つときであります。私たちは、礼拝に与り、聖霊の息吹に触れて、よみがえりの命を新たにいただいて、この世に遣わされていくのです。礼拝がいつも慰めと安息の場でありますように。