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2009年 04月 06日 ( 1 )

私たちは必要とされている。

 今日は、棕櫚の聖日(パームサンデー)と呼ばれています。この日、主イエスは、ロバの子の背中に乗り、エルサレムに入られました。そのとき、人々は棕櫚の枝を路に敷き、あるいは手に持って歓迎しました。そこからこのような名前が付されたわけです。
 ところで、私はこの棕櫚の聖日を迎えるたびに、主イエスがロバの子を連れて来るように弟子を使いに出したときの言葉に、胸を熱くします。ちょっと引用します。
 向こうの村へ行きなさい。村にはいるとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい。もし、「なぜそんなことをするのか。」と言う人があったら、「主がお入用なのです。・・・・」と言いなさい。 マルコ11:2,3 
 このロバは、ロバでも未熟な「ロバの子」でした。しかも、これまで誰の役にも立ったことがありません。けれども主イエスは、このロバについて「主がお入用なのです。」と言われたのです。
 私は、このロバの子は、まさに「自分」だと感じています。私にも「主がお入用なのです。」と声を掛けて下さり、主に仕えさせていただいているのです。 
人の目には不要であって、主の目にはだれもが必要とされています。主は、私たちに、なすべき仕事、奉仕、働き、役割を与えておられます。すべてのことを主に仕える心をもってさせていただこうではありませんか。
                                                        
                                                           (4月5日)
by sayama_church | 2009-04-06 17:18 | 牧師の窓 | Comments(0)