2018年 02月 04日 ( 1 )

罪の贖い

 先日、居間に入るとテレビがついたままになっていました。何気なく目を遣ると登場人物が「私にとっての仕事は、罪の贖いのためである」と言うのを聞いて、とてもびっくりしました。たまたま目にしたので、何の番組かも、どんな文脈での言葉だったのかも分かりませんでしたが、キリスト教用語とばかりに思っていた「罪の贖い」が、一般でも使われるのだと知りました。発言者は、きっと一生懸命に仕事をして社会に貢献することを通して良心の呵責となっている罪の償いをするという意味で使ったのでしょう。

ところで聖書は次のように言います。「私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。」エペソ1:7

だれの心の中にも、どこかに罪の意識が隠れています。罪責感です。しかし、神の御子であるイエス・キリストは、過去、現在、未来の全人類のすべての罪を十字架によって贖われたと聖書は語ります。神の前における人間の罪は、どんな修行、努力、償いによっても贖うことができない。ただ罪のない神の御子なるキリストの血によるというのが聖書のメッセージです。

社会や他者に対する罪は、償いをすることによってあるいは解決するでしょう。けれども、私たちの永遠を決定する神に対する罪は、御子イエスの血による贖いしかありません。主イエス・キリストの十字架が私の罪のためにでもあると受け入れる(すなわち信じる)ならば、だれでも救われます。神の子となるのです。


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by sayama_church | 2018-02-04 20:06 | 牧師の窓 | Comments(0)