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カテゴリ:牧師の窓( 695 )

神を喜ぶ

 キリスト教信仰の神髄は、「主イエス・キリストにあって神は私たちと共にいてくださる」ことにあります。人間の心の奥底の渇きは、神との交わり、神と共にあることによってしか満たされません。ですから、キリスト者は、神と共に歩むことをいつも心がけるべきです。

 しかし、残念なことに、キリスト者と言えども、人はなかなかこの真理に目が開かれません。神そのものを喜ぶことを知らず、神が与えて下さる賜物、例えば健康、財、立場、名誉・・・挙げればきりがない様々ないわゆる「祝福」ばかりに目を留め、追い求め、それらを喜ぶばかりです。いったいどれだけのキリスト者が、「神と共にある」ことの喜びを知っているでしょうか。「神と共にある」ことを生命的に大切なものとして生きているでしょうか。もし、私たちがこのことを心底、経験的に知ったならば、どんな境遇、環境にあっても揺り動かされず、勝利と平安の中に乗り越えることができるでしょう。

 キリスト者よ、罪を犯して神との関係を損ない、交わりを失ってはなりません。キリストの十字架と復活のゆえに、神との平和を与えられ、神との交わりに入れられたことを忘れてはなりません。自分自身を神に明け渡して、御霊によって歩むことを求めてください。自分を神に明け渡すことなくして、御霊によって歩むことはできません。

 祝福された実り多いクリスチャン生涯は、悔い改めと明け渡し、そして主イエス・キリストに対する信仰によって、神と共に歩むところ以外にはないのです。

  「私たちは神を大いに喜んでいるのです。」ローマ5:11


by sayama_church | 2019-08-18 20:27 | 牧師の窓 | Comments(0)

平和の器

 ここ最近は日韓の関係が急速に悪化しています。いわゆる徴用工問題から始まり、日本が輸出管理で優遇措置をとるホワイト国から韓国を外すに至って、単に政治的な対立にとどまらないで双方の国民感情にまで影響が及んでいるように思われます。

私は、以前韓国の教会を訪問して暖かく迎えられた良い思い出があり、また親しい韓国の友人もいますので、悲しい気持ちでいっぱいです。

次のような賛美をご存知でしょうか。

 あなたの平和の器にしてください

    主よ 私をあなたの 平和の器に

    憎しみのあるところに あなたの愛があるように

    悲しみあるところに よろこびがあるように

    赦すことにより 私たちは赦され

    神の愛を伝える 平和の器に

              (教会福音讃美歌485番)

キリスト者は、世の風潮に流されるのではなくて、聖書の言葉に立ち、神の御顔を仰ぎ求め、キリストのしもべとして平和をもたらす器でありたいものです。

「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。」エペソ2:14,15


by sayama_church | 2019-08-11 13:15 | 牧師の窓 | Comments(0)

M兄 

 M兄が主の御許に召されました。今年の3月にご長男のT兄から「入院中の父の様態がかなり悪く、お医者さんから危ないと言われています。見舞っていただけないでしょうか。そしてできたら洗礼を授けてもらいたいのですが。」と頼まれ、多少の戸惑いを覚えながらも、すぐに病室を訪ねました。

 肺炎で酸素吸入をしており、言葉も発することができず、かなり弱っている様子でした。「人は最後まで耳は聞こえる」と聞いていましたので、耳元で、私は牧師であることを伝えて、聖書が語る福音を単純にお話しました。すなわち、私たち人間はだれもが罪びとであること。神の御子イエス・キリストは私たちの罪のために十字架に架かり、よみがえられたこと。イエス・キリストを信じるならば罪が赦され、永遠の命を受け、天国に行くことができることを伝えました。そして、翌々日の318日にもう一度訪ね、信仰を確認して洗礼を授けました。

 ところが、驚くことに受洗後に様態は少しずつ回復していきました。そして、4カ月間、何度も病室に足を運ぶことが許され、耳元で賛美歌を歌い、聖書の福音を語り、祈りをささげることができました。それは、主が備えてくださった恵みの期間だったと思えてなりません。

 主イエスは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父もみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6と言われました。この言葉に偏狭さを感じ、躓く人もありますが、逆にイエス・キリストを通してだれもが天国に行くことができるとは何とありがたいことかと思います。主の救いの広さ、大きさに感謝いたします。


by sayama_church | 2019-08-05 15:03 | 牧師の窓 | Comments(0)

金持ちたち 

 参議院選挙で、れいわ新撰組が2議席を獲得し、政党要件も満たしたと報じられました。ネットでY氏の演説に心動かされたので、結果を注目していました。

 私は、特定の政治家を推すつもりはさらさらありませんが、Y氏が指摘するように、企業が人件費を抑えるために非正規雇用を増やす一方で、企業の内部留保は過去最高を更新というのはどういうものかと思います。また政府は消費税を社会保障のために使うと言いながら、これまでの消費税累計282兆円に対して、法人税減税累計255兆円という事実は、どう説明できるのかとも考えます。大企業、株主よりの政策と言われても仕方なく、このままでは中間層は没落して、格差はますます拡大してしまうのではないかと危惧いたします。

 聖書にこんな言葉あります。「聞きなさい。金持ちたち。あなたがたの上に迫って来る悲惨を思って泣き叫びなさい。あなたがたの富は腐っており、あなたがたの着物は虫に食われており、あなたがたの金銀にはさびが来て、そのさびが、あなたがたを責める証言となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くします。あなたがたは、終わりの日に財宝をたくわえました。見なさい。あなたがたの畑の刈り入れをした労働者への未払い賃金が、叫び声をあげています。そして、刈り入れをした人たちの叫び声は、万軍の主の耳に届いています。」ヤコブ5:1-4

 聖書のこの御言葉がこれからの日本の現状に当てはまらないようにと祈るものです。
by sayama_church | 2019-08-02 11:35 | 牧師の窓 | Comments(0)

鷲のように

 梅雨明けがなかなか訪れずに、太陽の見えない重苦しい曇天の日々が続いています。何となく身体が重く、気持ちが晴れない人も多いのではないかと思います。早く、さわやかな空を見たいものです。とは言っても梅雨が明けて本格的な蒸し暑い夏になるのも心配ですが。

 ところで聖書に次のような御言葉があります。「若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」イザヤ40:30-31

 鷲は、鳥類の中でも長生きで、寿命は70年ぐらいだそうです。40年ぐらい経つと高い山の頂に昇り、鋭さを失った古い口ばしを岩肌に打ち付けてへし折ります。新しい口ばしが生えると、今度はその口ばしで古い爪、羽を一本一本抜き取り、生え変わるのを待ちます。やがて全く新しくなった鷲は、翼をかって飛び立つのです。聖書は、鷲が新しく生まれ変わるように、主を待ち望む者は新しい力を得ると約束しているのです。

主を待ち望むとは、主を仰ぎ、主に信頼し、主に期待することです。走るような忙しさと慌ただしさの中で力の衰えを感じ、平凡な代わり映えしない日常の歩みの中で疲れを覚える私たちですが、主を待ち望むことを通して新しい力をいただいて歩んでいきましょう。 


by sayama_church | 2019-07-21 20:46 | 牧師の窓 | Comments(0)

苦しみの原因

先日、ご高齢の寝たきりの婦人からお電話がありました。最近、体が痛む。また娘の世話になるばかりで迷惑をかけているのではと悩む。こうした苦しみは、悪霊の仕業なのか、自分の罪の故なのか、それとも神さまから来るのか、という質問でした。私は、彼女の置かれている状況とその苦しみが分かるだけに、どのよう答えたらよいのか、一瞬言葉に窮してしまいました。

聖書にヨブ記と言う書物があります。そこに、次のような御言葉があります。「神は悩んでいる者をその悩みの中で助け出し、そのしいたげの中で彼らの耳を開かれる。」(ヨブ36:15

ヨブは正しい人で、非難されるようなところのない人でした。しかし彼は、子ども、財産を失い、さらに足の裏から頭のいただきまで悪性の腫物に覆われる苦難に会いました。3人の友人は、「ヨブの苦しみはヨブが罪を犯したからである。」と言い、その言葉に彼はますます苦しみました。もちろん、苦しみの原因が罪のためであることもあるでしょう。そのことを本人がはっきりと自覚するときは、悔い改めるべきです。けれども苦しみの原因を尋ねても分からないし、意味がない場合がたくさんあります。分かることは、神は苦しみ中に共にいて下さり、支え、助け出して下さること、そして苦しみを通して初めて知る神の御心があることだけです。

苦しみの中にある人よ。神は必ずあなたを支え、立たせて下さいます。


by sayama_church | 2019-07-15 08:00 | 牧師の窓 | Comments(0)

人が人になる?!

 ある芸能人が自分のことを「商品」と公言するのを聞いて、とても驚きました。確かに、自分を売り込んで、使ってもらい、ギャラを得るのですから、言っている意味は分かるのですが、何となく違和感を覚えました。皆さんは、どう感じますか?

もしかしたら私たちの社会では、人が物のように扱われることが平気になりつつあるのではないでしょうか。少し前にも「生産性」という言葉で人の価値を決めるような発言がニュースとなりました。人は人格的な存在なので、物になるとき心が渇き、荒廃します。それは、今日の社会のいたるところで見られる様相ではないでしょうか。

天地万物の創造者なる神は、私たちにこう言われます。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4

人は、創造者なる神を離れ、捨て去り、自らの力や努力でより良い社会をつくり、人間として幸せな生活を送ることを願い求めてきたはずですが、かえって物に成り下がりつつあるように感じます。人は、人でなければなりません。

私たちは、神に愛されている人格的な存在であるのです。神の御子が私たちを罪から救うためにいのちを捨てるほどの価値が私たちにあると神はおっしゃって下さいました。その愛を信じた時、自分の価値も他者の価値をも認め、神と交わりを持つ真の人となることができます。


by sayama_church | 2019-07-07 16:05 | 牧師の窓 | Comments(0)

アメリカ ファースト

 先週はG20サミットが大阪で開催されました。この機会をとらえて多くの国が首脳会談を持ったようですが、特に覇権争いをしているアメリカのトランプ大統領と中国の習近平国家主席の会談を世界が注目したのではないでしょうか。

 私は、個人的にはアメリカの民主主義、自由主義の方が中国の共産主義、全体主義よりも好ましいのですが、トランプ大統領が声高に繰り返す「アメリカ ファースト」という主張には、いささか危うさを感じます。アメリカが世界に影響力を持っているのは、経済的に他の国々のために多大な犠牲を払っているからだと思うからです。アメリカが自国の経済的な利益だけを露骨に求めると恐らく世界におけるアメリカの影響力は弱まるでしょう。

 ところで、主イエスは次のように言われました。「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」マルコ10:45

 主イエスが、今日まで世界中に多大な影響を及ぼしているのは、十字架で世界のすべての人のために自分のいのちをささげ、捨てたからです。主イエスは、何度も十字架を避ける誘惑を受けましたが、それを斥けました。もし、主イエスが十字架を逃れたならば、私たちの救いはありませんでしたし、キリストとして崇められることもありませんでした。

「自分のいのちを救おうと思う者はかえってそれを失う。」それが聖書の語る真理です。


by sayama_church | 2019-06-30 15:50 | 牧師の窓 | Comments(0)

生きることに希望がある

 もし、人生は「死をもって終わる」としたら、生きることに空しさを感じるのは私だけでしょうか。

振り返るときに、私は何人もの立派な人物に出会いました。功績があり、世間の評判、仲間内の評価もすこぶる良い人たちです。けれども、亡くなると瞬く間の内に人々の記憶から消えていくのです。ヨブはこんなことを言っています。「木には望みがある。たとい切られても、また芽を出し、その若枝は絶えることがない。・・・しかし、人間は死ぬと、倒れたきりだ。人は、息絶えると、どこにいるか。」(ヨブ14:7-10

どんなに苦労を重ねて人々に尽くしても、りっぱな業績を挙げたとしても、人は死をもって終わるとしたらやはり空しいです。けれども、キリストを信じる者は、大きな希望と慰めを持っているのです。キリスト者は、十字架の血潮による罪の赦しを信じているだけではなく、キリストの復活と再臨を信じています。キリストが再臨されるとき、キリストにある者は、キリストが復活されたように栄光のからだによみがえります。そして、千年の間、主とともに地を治め、最後の審判の後に新天新地を受け継ぐのです。私たちの労苦には、報いがあるのです。

結局、人生において永遠に残るものは何でしょうか。神との関係だけです。「神との関係で私たちがいかに生きたか。どのように生きたか。」ということだけが永遠に残り、神の報いを受けるのです。「あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っている」Ⅰコリント15:56


by sayama_church | 2019-06-24 22:40 | 牧師の窓 | Comments(0)

誕生日

 先週、50代最後の誕生日を迎えました。月日の経つ早さ、人生のスピードの速さを感じます。10代、20代の頃が昨日のように感じられます。

 誕生日を迎えるにあたって次の御言葉が与えられました。「わたしについて来なさい。」マルコ1:17

 以前の私は、「わたしについて来なさい。」という主の招きの言葉は、「従わなければならない。」という厳しさを感じることがしばしばありました。しかし、今は深い主のご愛を覚えています。

616日発行のクリスチャン新聞に福島ベテル教会の金基順牧師が紹介されていました。彼女はこんなことを言っています。「しくじって、罪を繰り返し、泥だらけの私たちをあきらめないで、愛してくださる。だから『私も(主を)愛します。』この告白の延長線上に牧会があり・・・」

私も同じような気持ちです。振り返るとき、何度も失敗し、躓き、御心から外れた私でした。そんな罪びとを、主はあきらめず、見捨てず、赦し、受け入れて、「わたしについて来なさい。」と何度も語りかけて下さいました。そこに深い主のあわれみと愛を覚えます。それゆえに私も心から主を愛して、従っていきたいと思っています。


by sayama_church | 2019-06-16 16:07 | 牧師の窓 | Comments(0)